「樋口季一郎中将の偉業を顕彰し、後世に伝える」
「樋口季一郎中将の偉業を顕彰し
後世に伝える」

樋口季一郎中将
樋口季一郎(ひぐち きいちろう、1888年 – 1970年)は、第二次世界大戦期に活躍した日本の陸軍中将です。
兵庫県淡路島に生まれ、陸軍士官学校・陸軍大学校を卒業し、陸軍のエリートとしてキャリアを積みました。
戦時中に多くのユダヤ人難民を救い出すなど、人道主義に基づく行動でも高く評価され、その温かい信念は現代の安全保障や国際情勢を考える上で大切な教訓となっています。また、戦後、停戦直後の混乱の中、ソビエト軍の北海道侵攻から日本を守るため、第5方面軍を率いて命がけの防衛戦を展開しました。彼の指揮のもと、国の分断を阻止し、平和な日本の礎を築いたその勇気は、今なお語り継がれています。
御 挨 拶

明治学院大学名誉教授、音楽学者、指揮者 、テュービンゲン大学哲学博士
代表理事 樋口 隆一
明治学院大学名誉教授、音楽学者、指揮者
テュービンゲン大学哲学博士
代表理事 樋口 隆一
ウクライナ情勢やイスラエル問題は80年前の複雑な国際情勢を思い出させます。20世紀前半に情報将校としてヨーロッパで活躍した樋口季一郎は、当時の複雑な世界情勢を最も理解していた日本人のひとりでした。
そうした知識の裏付けにより、多数のユダヤ難民を救い、北海道をソ連の侵攻から守り、日本を東西分割から救いました。
その樋口の銅像を札幌護国神社に建立しましょう。ご協力をお願いします。

株式会社アイエム 代表取締役会長
副代表理事 水上 逸朗
北海道をソ連から守り、ユダヤ難民を救った樋口季一郎。樋口中将が指揮した奇跡のキスカ島救出作戦は、米の公式戦史に「パーフェクト・ゲーム」と記される。
また樋口季一郎氏の為人も後世の人々が心に記すべきものがあります。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサー最高司令官はソ連からの引き渡し要求を拒否し、樋口中将の身柄を保護しました。大戦後、樋口季一郎は小樽市の朝里に暮らし、1970年に白山神社のある文京区白山に転居し、同年10月11日に他界。隠遁生活の中、過去は語らず、アッツ島の絵の前で毎朝、戦死者の冥福を祈っていたと言います。
所在地(アクセス)
住所
一般財団法人 樋口季一郎中将顕彰会
〒104-0031
東京都中央区京橋2丁目8−1 八重洲中央ビル6F
アクセス方法
- 最寄駅: 東京メトロ 銀座線 京橋駅 6番出口 より徒歩2分
地 図
下記の地図をご参考ください。